GAP 1969 MAGAZINE

MENU MENU

INTERVIEW

上出惠悟
vol.1

『つながりのなかから
生まれる可能性』

石川県/陶芸家

上出惠悟KEIGO KAMIDE

石川県能美市

日本各地で活躍する人々の個性にスポットを当てる『INTERVIEW』シリーズ。初回は、美しき伝統工芸、九谷焼の産地である石川県能美市を訪れ、上出長右衛門窯の六代目跡取りとして日々九谷焼の可能性を追求している上出惠悟さんにお話を伺いました。

Photo:ARI TAKAGI Text:VIOLA KIMURA
Edit:RHINO INC.

  • facebook
  • ツイート
  • LINEで送る

「お茶碗屋さん」になりたかった子ども時代。

── 上出長右衛門窯ではどのような役割を担われているのでしょうか?

いわゆるクリエイティブディレクターのようにデザイン、企画決め、ブランディングをやりながら、一方で社長業みたいなことも結構やっています。全然向いていないんですけど(笑)。

── この土地で、どんな子ども時代を過ごしていましたか?

幼いころから「将来はお茶碗屋さんかおもちゃ屋さんになりたい」と言っていました。途中から好きなことがやりたくなって、高校ではデザイン科、大学では油絵科へ進学したんですけど。昔から絵が好きだったのでよく描いていました。山も大好きだったので自宅の裏山によく行ったりしていましたね。放課後は窯で遊んだり、商品の箱に栞を折って入れる手伝いをしていました。毎年五月に開催される九谷茶碗まつりも手伝っていましたね。


アートと社会のつながりに関心があった。

── 大学進学とともに上京されてから、どんな学生時代を過ごされたのでしょうか。

目指していた芸大へ入学したものの、何をすればいいかわからなくなってしまって。そこで人の話を聞こうと思って、活躍されている先生のもとで文化人やアーティストを招致したトークイベントのお手伝いをしていました。いろいろな土地に足を運びましたね。

── 当時はどんなことに関心があったのでしょうか。

先生のもとで企業の方々にお会いしていくうちに、いわゆる「メセナ」、企業の文化活動に興味を持つようになりました。実際に、とある企業の文化施設でアルバイトをしていたこともあります。銀座にあった歴史ある企業の施設で、そこが持つ文化的な資財や思想に興味があって。見せ方や展示内容も面白くて勉強になりました。それと自分にとっては初めてもアルバイトで楽しかったです。先生のところでの活動もそうですが、アートと社会との関係性に興味があったんです。

── そういった関心は、いまのお仕事に通じていますか?

すべて繋がっています。高校時代に学んだデザインも、大学の絵画も、先生のお手伝いやアルバイトの経験も、今の活動に役立っています。その時はそんなこと思ってもみませんでしたし、むしろ何をやっているんだろうと悩んでましたけど。


反対されても、戻ってきた。

── 卒業後すぐに窯で働き始めたそうですが、戻ることは決めていたのですか?

幼い頃から窯の様子を見ていて、漠然と「自分もいつかは」という気持ちはありました。やろうと思えば、いつでも家に帰れる環境があったので、その気になるまでは、自分の好きなことをしたいと思っていたので、すぐに陶芸のほうへ進む気はなく、高校と大学では全然関係ないことをやっていましたね。大学三年の終わりごろに制作に行き詰まり、自分のルーツに立ち返るために休学をし、九谷焼を学んで、そのときはじめて九谷焼の置かれた危機的状況を知りました。

石川県の代表的な伝統工芸である九谷焼の窯元「上出長右衛門窯」

── 窯に戻ることを決めたとき、家族はどんな反応でしたか?

父親には「帰ってくるな」と言われました。産業自体が衰退していて「先が見えないから」という理由で。その事がもの凄く悔しくて、九谷焼が持つ可能性をもっと知ってもらいたいし、自分でも突き詰めたいと思ったんです。しばらくして、父の言っていたことがよくわかるようになりましたが。

九谷に限らず、日本全国の伝統工芸の現場では、少し前までは”都会へ出た息子に早く帰って継いでほしい”という声に対して子が渋々帰るという話をよく聞くのですが、現代では今まで通りのやり方を続けていても売れないし、食べていけないから親が継がせられないと思うのは当然のことと思います。


“窯”と“自分”が歩み寄る。

── 窯に戻られて、まず何から始められたのでしょうか。

帰ってくるなと言われていたので何もできなくて(笑)。卒業制作でつくった九谷焼の作品を、メディアに取り上げていただいたことで「欲しい」とお声がかかって、それを制作するために帰ってきたのが始まりでした。新入社員でしたが”侵入”社員といった言い回しがぴったりでした(笑)。ホームページやリーフレットなどをつくったり、商品にも携わるようになってから、新しいことをするとメディアが取り上げてくださるようになって。家族に九谷焼の可能性を見せたい、という気持ちが出発点だったので、そういった面でメディアの方々の力は大きかったですね。

── 窯の商品開発と、上出さん個人の作家活動が混同されてしまうこともあったのでは?

はい。僕自身は長右衛門窯を知ってもらいたくて活動しているつもりだったんですけど、上出惠悟という個人の名前が結構世に出ていて、窯でやっていることも“九谷焼作家の上出惠悟”として取り上げられることが多く、悔しい思いをしていましたね。ハイメ・アジョンとのプロジェクトで、五代目の父親が前面に出てくれたことで、ようやく長右衛門窯の名が少しずつ知られるようになっていきました。

ハイメ・アジョン氏に着物を着付ける五代目である父
Photo_Nienke Klunder

── 上出長右衛門窯とご自身はどのような関係だと感じていますか?

自分と窯の職人とのやり取りから生まれるものと自分が一人で作るものがあるのですが、そのボーダーがだんだんゆるくなってきているんです。前はもっとはっきりと分かれていたんですけど、歩み寄っていっている気がしています。

── インスピレーションの源は何ですか。

僕は読書が好きなので、本を通じて知る世界から影響を受けることもあるのですが、それよりも、“先代とつながっている”という意識が強いかなと思っています。ひとつひとつの茶碗は、そのつながりの中から生まれています。川の水が、上流から流れて下流のほうにいって海に出て行くようなイメージ。文化って、異なるものの衝突の中から生まれてきますよね。“窯”と“僕”の交わりのなかで生まれるものの可能性を、いま一番強く感じています。


大きな“バランス感覚”を頼りに。

── 既存の作品に新しい要素を取り入れる際は、何を重視されていますか?

そのときどきの感覚を頼りにしています。”伝統と革新”といった切り口で取り上げて下さることが多いのですが、僕たちとしてはあまりそういう意識は持っていなくて、大きなバランス感覚を頼りに、自然とやっていて、自分でも理由がわからないまま続けていることもあるんです。
九谷なんて360年ほどで、大きな流れで見るとそんな大した歴史でもないんですよ。”保存と活用”ってくらい軽い言葉にしてもらってもいいかな、と思っているくらいです。
ただ、続けて来た人の情熱や思いは、時間では測れるものではないと思います。

長右衛門窯の特徴は藍青色で線を描き、5色の絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法


先代からの「つながり」と、異文化との「交わり」の中で。

── 九谷焼というと、大陸文化、特に中国の影響を受けていますよね?

うちの製品は中国の古染付から発想を得ているものが多いです。明の時代の文人を描いた古染付を祖父がとても気に入り、以来60年以上描いているのが『笛吹』シリーズです。その伝言ゲームみたいなものがすごく面白くて。『笛吹』シリーズに描かれているのはサムライですか、と聞かれることがあるのですが、これは明時代の文人なんです。

普段でも、窯では中国から影響を受けた山水画を描いているのですが、実は何を描いているのかわからないまま描いていることも多くて。木なのか、網を干しているのか、はたまた人なのか、この人は後ろを向いているのか前を向いているのか。

『笛吹』シリーズで描かれている男はオールバックでまとめた髪を頭巾の中にしまっているはずなんですけど、カッパみたいな髪型になってしまっていて(笑)。ずっと描いているうちに、変わってきているというのが最近になって気付きました。そんな変な部分も面白いので、あえて残しておきたいと思っています。僕はスケボーに乗せたり、ガイコツにしたりと酷いことをしたりもしていますけど、元の『笛吹』という絵柄が大好きなんです。

60年描き続けている『笛吹』モチーフを現代版にアレンジしたシリーズ作品

── サックスなどの楽器も描かれていますね。

もともと笛を吹いているデザインのみだったのですが、身近な楽器を持たせたら広く伝わるかなと思い、結婚式の引き出物として描いたものです。その後、評判がよかったので商品化させていただきました。実はうちの商品はオーダーから生まれた商品が多いんです。料理屋さんからの割烹食器の発注が大部分を占めていた時期もあって、店の料理ごとに合わせたオーダー食器を作ってきました。改めて過去を振り返ってみると、既存のほとんどの商品がもともと個別の受注品だったりするかもしれません。

話は変わりますが、日本人って海の向こうからくるものへの憧れがすごく強い民族ですよね。昔の人は、浜で拾った大陸からの漂流物を見て、これは何だろう、何が描かれているんだろう、と想像を膨らませたのでしょう。そういう日本のミックス感が最近面白いなと思っています。

── 一見、どこの国のものかわからないような作品もありますよね。

そうですね、『TEA』シリーズもそんなミックス感から生まれています。ぱっと見、どこのものかわからない和漢洋の繋がりって面白いんです。お茶って世界中どこでも「ティー」に近い音で呼ばれていますよね、「チャ」とか「テ」とか。どこでも伝わるその三文字が湯呑に書いてあってもいいかなと思ったんです。現代の僕たちは、この2色からカンフーを想像させて、大陸的なイメージを持たせるかもしれません(笑)。

この『TEA』シリーズを作ったときは、日本のお茶文化を海外向けに紹介している岡倉覚三(天心)の『茶の本』を久しぶりに読み直しました。日本文化である茶道と、中国から入ってきた煎茶の文化について書かれているのですが、「お茶は芸術なのでマスターが要る」という一節を抜粋して湯呑の裏に書いたりしています。

「気軽に九谷焼に親しんでほしい」という想いからスタートさせたブランド『KUTANI SEAL』では、『加賀棒茶』のパッケージを作らせていただいたのですが、そのときのコンセプトも「気軽に本格的なお茶を飲もう」でした。どちらも“気軽さ”を伝える一方『TEA』シリーズではあえて「熟達する必要がある」という反対の表現をしているんです。そうやってバランスを取りつつ、遊びも加えていて(笑)。

東洋の思想を伝えるため、西洋の読者へ向けて書かれた岡倉覚三(天心)の『THE BOOK OF TEA』


音楽やファッションでも、“ミックス”を楽しむ。

── お好きな音楽について教えてください。

浅草を拠点に活動しているロックバンドの<浅草ジンタ>と、僕が紹介するまでもないかもしれませんが<YMO>が最近また好きですね。<浅草ジンタ>は欧米のロックミュージックをベースにしつつ日本の祭りにも似た土着的なメロディーとリズムが、自然と身体と心が沸き立つというか、唯一無二だと思います。<YMO>は、テクノの持っている技術を使った前衛的なバンドというイメージが強いと思うんですけど“Yelloe Magic Orchestra”という、白人の音楽と黒人の音楽があるところへ、もうひとつ黄色人種の音楽を広めようというコンセプトからはじまっていて。そこって意外と目を向けられていないポイントですよね。

特に、『ファイアークラッカー』という曲が好きです。もともと<マーティン・デニー>が作った曲なのですが、西洋人の彼がイメージしたエキゾチックなものって、東洋人の僕たちが聴くと少し違うんですよね。そういうイメージを<YMO>がコピーすることで自分達のものにした。<YMO>のアレンジを聴いて、<マーティン・デニー>が<YMO>を意識したと思われるファイアークラッカーをリアレンジしたりするその成り立ちが面白いなと思って。先ほどお話した“文化のミックス”の話と通じるものを感じます。

YMO

YMO
Firecracker

Amazonで購入する

YMO

浅草ジンタ
吟盤 -GINBAN-

Amazonで購入する

── 普段はどんなファッションが多いですか?

上には、こういう羽織を着ていることが多いですね。商品を扱ってくださっているお店で見つけた台湾のデザイナーのものです。トップスはゆったりしたもので、ボトムスは適度にぴったりしたものを選ぶことが多いです。デニムは頻繁に穿くというわけではありませんが、買うと履きつぶすまで穿いています。濃いインディゴやブラック系のデニムを買うことが多いです。

スカジャンは去年くらいからずっと欲しくて。これ、虎やヤシの木など様々な土地のモチーフのレイヤーが重なっていて、日本、ベトナム、ハワイといった国々がごちゃごちゃと混ざっていて気に入りました。


テーマパーク化してしまうのが悲しい。

── 北陸新幹線かがやきが開通して金沢は盛り上がりを見せていますが、この街をどのように見ていますか?

人が沢山来るようになりましたが、古くからあった屋敷や町家が壊窯に戻ることを決めたときかされて、分譲地や駐車場、商業施設になり、それが街の景観を変えてしまっているのが残念ですね。金沢の町って、人が実際に住んでいる生きた町っていうのがとても好きな所で、観光地化されてテーマパークみたいになってしまうのが悲しいです。一度そうなってしまうとなかなか戻すのって難しいですよね。気づいた人がなんとかしないと、取り返しのつかないことになってしまう。古いものをなるべく壊さないで、今に活かす・活用するってことは大事だと思いますね。


考えながら手を動かすものづくりを。

── 今後について教えてください。

例年、五月の九谷茶碗まつりに合わせて、長右衛門窯で「窯まつり」を開催します。普段は一般見学をお断りしているんですが、五月の「窯まつり」では窯を解放して、蔵出し市や去年からろくろ体験や絵付け体験などを催したりします。

親から引き継いできているものを自分のものにするのには時間がかかりますね。そこをしっかりやっていきたいです。窯はものが生まれる場所で、つまり神聖な場所でもあるわけですが、ここでもっと色々なものを生み出していきたい。ものをつくるというのは僕たちにとっては“考える”ことと同義だと思うんですけど、そういう意味で僕たちは、ものをつくれているかと言うと、決してそうではない。ロボットの様に手を動かしているという現状もあって、それだと機械の生産に負けてしまうと思います。意志を持って手を動かすことで新しさを生む。そういう僕たちでありたいと思います。


上出さんおすすめの地元スポット

深い山の奥にある九谷焼創生の地

九谷磁器窯跡

古墳は少し見守られている感じがします。

秋常山古墳

何でもない近くの山に行くのが好きです

付近の山

美は過去も未来もなく・・

鈴木大拙館


上出長右衛門窯
http://www.choemon.com/
上出長右衛門窯 ハイメ・アジョンとのコラボレーション商品
http://www.choemonshop.com/jaime_top.html
KUTANI SEAL
http://www.kutaniseal.com/
http://kutani.or.jp/
Yoshimi Arts
http://www.yoshimiarts.com/
浅草ジンタ
http://www.asakusajinta.com/
YMO
http://www.ymo.org/

上出惠悟(かみでけいご)さん

明治12年創業の九谷焼窯元、上出長右衛門窯の六代目として生まれる。東京藝術大学在学中、バナナを象った九谷焼の作品『甘蕉 房 色絵梅文』を制作し、現代美術界で高い評価を受ける。2006年に東京藝大を卒業後、窯元へ戻る。以降個展、グループ展を多数開催。2008年に丸若屋と制作した『髑髏 お菓子壷 花詰』は注目を集め、後に『甘蕉 房 色絵梅文』とともに金沢21世紀美術館に収蔵される。現在は窯元の商品の企画デザイン、企業との共同制作、九谷焼の転写技術を使った「KUTANI SEAL」を考案するなど幅広く活躍中。海外でも個展を開くほか、スペイン人デザイナー、ハイメ・アジョンと組んで食器シリーズを発表するなど、九谷焼の新しい可能性を追求している。


  • facebook
  • ツイート
  • LINEで送る