GAP 1969 MAGAZINE

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INTERVIEW

近藤 健一
vol.2

『守りに入らず、
枠を崩しながら意図的に
変化を起こしていく』

埼玉県/七宝作家

近藤健一KENICHI KONDO

埼玉県北本市

日本各地で活躍する人々の個性にスポットを当てる『INTERVIEW』シリーズ第4弾。鮮やかな色の美しさとモダンなフォルムで、幅広い年代の女性から人気を集める七宝ジュエリーブランド『Kenichi Kondo』。今回は、埼玉県北本市にある近藤健一さんのアトリエをたずねました。七宝との出会いや仕事の転機、そして今迎えようとしている“変化”について、たっぷりとお伺いしました。

Photo:ARI TAKAGI Text:NORIKO OBA
Edit:RHINO INC.

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思いがけないことから始まった七宝づくりへの道。

── アトリエに並ぶ七宝ジュエリー、本当にきれいな色とかわいい形ですね。金や銀、銅などの金属で形づくったものに釉薬(ガラス質の粉末)を焼き付ける「七宝」ですが、近藤さんがその道に進もうと思ったきっかけについて教えてください。

もともと、七宝作品をつくりたいなんて全然考えてなかったんですよ。大学のときは金工を専攻していて、金属を熱して溶かし、型に流し込んで、オブジェのような作品を多くつくっていました。隅にある金属の球体は、大学のときにつくった作品。このころはアクセサリーづくりなんてチャラチャラしたもん絶対やりたくないって思ってて(笑)。

大学時代の作品

── 今の作品と雰囲気が違いますね。そこからなぜ七宝に?

大学を卒業するときにはまだ方向性も定まっていなくて、就活もせず、もう少しふらふらしたいと思っていたのですが、卒業後すぐの4月に妻が妊娠していることがわかったんです。それで、急遽働かなければと。たまに大学に教えに来ていた職人さんに相談しました。その方が紹介してくれたのが、老舗の七宝の会社だったんです。

── 急展開ですね。

そう。だから、子どもができたことが仕事にとっても大きなターニングポイントだし、それがなければ七宝っていう選択肢はなかったわけだから、この仕事を始めるきっかけでもあります。といっても、会社では営業だったので七宝を焼いていたわけではないんだけどね。毎日17時30分の定時になったら、タイムカードを押してすぐに帰るような社員でした。今思えばそんなヤツよく雇ってくれたよね…。

でもサラリーマンとして働いた経験は、すごくよかったと思う。当時は受注の意味も知らなければ、伝票の書き方、梱包の仕方、送り状の書き方もまるでわからなかったところから、HPの製作も任せてもらったり、だんだんといろいろなことを覚えて。


ある助言をきっかけに赤字続きから脱出

── 会社員時代から自分もつくりたいという気持ちはあったのですか?

それは、ありました。このサルのリングは、会社員時代につくった最初の七宝の作品。銀の線でサルの輪郭に枠を立てて、そこに釉薬を流しこんでと、すごい手間をかけてつくりました。完成したときはうれしかったですね。今見ると稚拙だけど、まぁでも当時は、これでイケるって思って会社も辞めて…。我ながら信じられない浅はかさですねぇ(笑)。もちろん全然売れなかったよ、見事なくらい。

会社員時代と独立初期の作品(左から二つ目がサルのリング)

── …そうなんですね。

勤めていた会社が伝統的な七宝焼を扱っていたので、自分も自然と技術を駆使したものや凝ったものをつくろうとしていて、でも、それだと値段も高くなるし、そのときは大きなブローチなどをつくっていたんだけど、そういうのを求めている人もあまりいなかったんですよね。クラフトフェアのイベントで売っても大赤字、長野の山奥でキャンプしながらクラフトマーケットをするというイベントでは4泊で8,000円の売り上げとか(笑)。お店に直接営業にいってもいい返事はもらえなくて、さんざんな日々が2年近く続きました。楽しかったんですけどね。

── 家族もいて、大変な心境だったと思います。どうやってそこから脱したのでしょう?

このままでは先が見えないと思っていたある時、コンテンポラリージュエリーを専門に扱っている恵比寿の「ギャラリー・ドゥ・ポワソン」に作品を持っていったんです。自分の作品ができた時に、展示をさせてもらえないか相談しに行きたかったところだったのですが、そうもいってられない状況で、とりあえず一度行ってみようということで。そこで、作品に対してアドバイスをしたりと作家のサポート的なこともしてくれることを知り。デザインも技術的にももっとシンプルにしてみたら、と言われたことから道が開けていきました。

── そのアドバイスが突破口に?

まさに。今の定番商品が生まれたのもこのときのアドバイスのおかげです。作品を売るということで言うなら、ここも大きな転機だったと思う。

── アドバイスを素直に聞く近藤さんの性格も関係している気がします。

最初はジュエリーをやるつもりもなかったくらいなので、「自分は絶対にこのテイストでやる」という強いこだわりもなかったのがよかったのかもしれないですね。これやってみたら?と言われたら、そうですね、やってみますと言えたんです。もしもアドバイスを拒否していたら、それはそれでまた別の道だったと思う。あとは、2年間ずっとひとりで悶々とつくっていたので、他人の意見を自分なりに落とし込んでつくるという作業もすごく新鮮で楽しかったんですよね。