GAP 1969 MAGAZINE

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INTERVIEW

木下真理子
vol.8

『中国・日本の伝統文化としての
“書”を継承し、今に伝え、
表現する探求者。』

茨城県/書家

木下真理子
MARIKO KINOSHITA

茨城

日本各地で活躍する人々の個性にスポットを当てる『INTERVIEW』シリーズ第8弾。今回は、世界的な展覧会や映画の題字を手がけるなど、現在大きな注目を浴びる書家、木下真理子さん。現在開催中の『茨城県北芸術祭-KENPOKU ART 2016-(以下KENPOKUと略)』では題字も担当しています。「今日は薄墨を流したような空ですね」と発するその姿からは、凛とした美しさが漂います。作品や今後について、書に込めた想いを語ってくれました。

Photo:ARI TAKAGI Text:NORIKO OBA
Edit:RHINO INC.

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敬愛する岡倉天心。彼が移住した“五浦”にて。

── 今回は、現在開催しているKENPOKUの会場での取材となりました。茨城県の出身である木下さんにとって、特に思い入れのある場所がここ、岡倉天心が東京から移住した“五浦(いづら)”だそうですね。

五浦は、天心がかねてから傾倒していた漢詩の世界を、その景観に感じ、一目惚れして移り住んだ場所と言われています。

── 今回、木下さんがKENPOKUで展示しているインスタレーションも、岡倉天心に深く関わっています。岡倉天心は木下さんにとってどのような存在なのですか?

書家として活動している私にとって、天心の物の見方や残した言葉の数々は、心の糧になっていますし、特別な人ですね。日本の伝統文化のルーツは、西洋ではなく中国から吸収してきたものですが、明治維新後、日本には西洋の荒波がおしよせてきて、それは日本の美術界においても同様で、急速に西洋ナイズされていきました。でも天心は、「アジアはひとつなり」(Asia is one)という有名な言葉からも伺えますが、インド、中国、日本に連なる美の根源はひとつであるとして、東洋の文化、伝統美というものを大切にしました。

岡倉天心 旧邸宅敷地内にある碑

── この時代、日本古来の伝統文化が失われそうになったんですね。

日本人は、中国から学んだ文化をただ受容するのではなく、自分たちの美意識や精神性、民族性に沿ってそれを変容させてきました。たとえば、お茶やお花、書などを“芸道”という文化の域まで高めてきたのですが、そうした文化が失われそうになったんです。

明治15年に『書ハ美術ナラス』(書は美術ならず)というショッキングな論文が洋画の中心的人物であった小山正太郎によって発表され、物議をかもしました。この論に対して、天心はひとつずつ根拠立て、完全に論破したんです。

── 書家として活動する木下さんにとっては、重要なことですね。

天心は東京美術学校(現:東京藝術大学)の創立に関わり、校長も務め、日本美術界の牽引者でもありましたが、そういうことに表立って闘ってくれたことに、心から敬意を持っています。その後、彼はこの五浦とボストン美術館とを行き来し、ジャポニスム・ムーヴメントの一翼も担うことになります。

── だからこの場所は、木下さんにとって特別な意味があるのですね。それにしても“六角堂”がこんな断崖に建っているとは…ちょっとこわいです。

せり出すかのように建っていますものね(笑)。視界に飛び込んでくるのは、白砂青松とは程遠い、荒海と岩壁と松の木の眺望で、まさに中国の「山水画」のような景色です。

天心が思索にふけるため、ここに“六角堂”を作ったというのも頷けます。