GAP 1969 MAGAZINE

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INTERVIEW

細尾真孝
vol.8

『アート×西陣織、
テクノロジー×西陣織…etc.
伝統の織物を新しい形で
発信し続ける』

京都府/(株)細尾
常務取締役・ディレクター

細尾真孝
MASATAKA HOSOO

京都

日本各地で活躍する人々の個性にスポットを当てる『INTERVIEW』シリーズ第9弾。今回は、西陣織の老舗「細尾」12代目の細尾真孝さんを訪ねました。現代美術家やラグジュアリーブランドのインテリアなど、これまでになかったコラボレーションで、織物の可能性を次々と発信するその源には、新しいものを取り入れても決して“壊れない”伝統に対する信頼がありました。彼がどのように新しい道を切り開いてきたのか、これまでのこと、そしてこれからのことをお伺いしました。

Photo:ARI TAKAGI Text:NORIKO OBA
Edit:RHINO INC.

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デヴィッド・リンチの世界観を、西陣織で表現。

── 10月7日から表参道の『GYRE』にてコラボレーション展『DAVID LYNCH meets HOSOO 螺旋状の夢_ 夢見るように目覚める』を開催しています。(※11月13日で終了しました。)展示空間に入った瞬間、これが西陣織?織物なの?と驚きました。本展は、デヴィッド・リンチの作品が空間全体の核になっているそうですね。

はい。彼が描いた『スパイラル』という絵を核として、西陣織でインスタレーションを展開しています。

── 空間いっぱいに広がった織物は、すごい長さで…

70mあります。長い織物をねじって、途中からは裏面が前に出るよう展示していますが、これは、デヴィッド・リンチの作品から感じる、ひとつの物事が含んでいる“表と裏”“正と悪”といった二面性を、織物で表現したかったんです。また、スパイラルというのは、ものごとの上昇、下降を象徴する“渦”ですから、上から見ると渦巻きの形に、音もサラウンドで渦巻き状に鳴るように配置しました。

『DAVID LYNCH meets HOSOO 螺旋状の夢_ 夢見るように目覚める』展の作品 photo_hosoo

── 会場で流れていた音楽も気になりました。

バッハの「クラブカノン(蟹のカノン)」です。この曲は、譜面通りに頭から演奏して曲になるのはもちろん、曲の終わりから頭に向かって逆に演奏してもきちんと音楽になっていて、さらには両方を同時に演奏しても音楽として成立する驚異的な作品。多面的な要素をもつこの曲は、今回の空間に合うはずだと選びました。


“着るジュエリー”として発展してきた西陣織。

── 展示を見て、西陣織のイメージが変わりました。織物の奥行きや、きらめきが、まるで宇宙のようにも思えて。

その奥行きは、世界一複雑な構造をもった西陣織ならではだと思います。

── 複雑な構造というと?

均一の糸を織るのではなく、太い糸、平らな糸などさまざまな種類を織り分け、それが10〜15レイヤー重なる多層的な構造があります。
西陣織には、生糸の製造や、糸染めなどすごく細分化された20の工程があって、1工程ひとりのマスタークラフトマンによって仕上げられます。工程は、すべてを一つの工房内で行うのではなく、西陣の街7キロ圏内にそれぞれの職人が存在していて、街全体で西陣織ができあがっているんです。

── 西陣という街のなかに、さまざまな専門家が点在しているんですね。

はい。西陣織の起源は1200年前までさかのぼりますが、京都に都があった当時のクライアントといえば、天皇家、貴族、将軍家というドメスティックの超アッパー層。昔の日本はジュエリーで着飾る文化はあまりなかったので、装飾的な要素は着物が一手に引き受け、特に、生地の質で差別化していました。

本物の金、銀、プラチナなどを細い和紙に貼って、それを細かく裁断し、生地に織り込むのは、西陣織の伝統的な技術ですが、こういったラグジュアリーな素材が出来上がった背景には、西陣織は“着るジュエリー”として発展してきた歴史があるからなんです。


感じて、行動して、人と出会う。

── 細尾さんはそもそも家業を継ぐつもりはなかったのだとか?

はい。高校生のときにセックスピストルズに衝撃をうけて、パンクバンドを結成し、そのときから音楽でやっていきたいと決めていたんです。大学に入ってからはクラブミュージックのトラックをつくって、西麻布のイエローやリキッドルームでライブをしたり。その後少しずつCM音楽やリミックスなどの仕事もしていたのですが、食べていけるにはほど遠かったです。

当時、僕のちょっと上の世代でNIGOさんやジョニオさんが“東京のストリート”という新しいマーケットをつくっていて、Tシャツ1枚買うのに長蛇の列、という現象にも衝撃を受けました。音楽を続けるためにも自分たちも新しいマーケットをつくらないとダメだ、と思って。

この頃偶然訪れた上海に、若いアーティストやギャラリーが集まっているエリアがあって、「ここを拠点にしよう」と、4人で音楽とファッションとアートを融合したブランド、“SHANG QOO FUU(シャン クー フー)”を立ち上げました。

── 上海ですか。

「謎めいた上海の集団」という設定で売り出そうと(笑)。店舗も借りて、モノづくりを始めました。質にもこだわって、いいものはできたのですが、とにかくコストがかかって、売れる分だけ赤字がふくらむ状態で。結局2年で解散…。こんなに必死でやったのになぜダメだったのか、リベンジしたくて「儲かっている会社に入って学ぼう」と、日本の大手ジュエリーメーカーに就職したんです。

── え、サラリーマンに?!

はい。セックスピストルズの影響で人生の方向を決めた自分としては、パンクとは真逆の避けたい道だったんですけどね(笑)、これが今となっては感謝してもしきれないくらい学ばせてもらいました。最初に配属された生産管理の部署では、初めて“原価率とは何か”を知りましたし(笑)、次に商品開発にまわり、ここでは職人とのやり取りを覚えました。ほかにも他部署に行っては、物流、企画、マーケティング等やり方を聞きまくって、トータルで4年いましたね。

── 先ほどからお話をお伺いしていると、「新しいマーケットが必要」だと考えたら上海に拠点を移したり、「学ぶ必要がある」と思えば会社に就職するなど、何か感じたらすぐに具体的に動く行動力を感じます。

完全に行き当たりばったりですけど…(笑)。毎回頭ぶつけて修正して、の繰り返し。でも、闇雲な行動でも、そこには人との出会いが必ずあるので、そのおかげで少しずつ前に進んできたのかもしれません。